ヨガの道

私はヨガの先生だから、少しヨガのことについて話し合いたいだ。ヨガというのは、簡単に運動の一種類ではなくて、実はインドの八つの伝統的な哲学観念の一つのことだ。長い歴史の中で、人類の先祖が日常生活から学んだ知識や経験、そして生きている意味の考えを短いヨガの経典や詩にまとめて、私たちにずいぶん珍しい知恵を残してくれた。

ヨガの主な観念は人間が生きている間、できるだけ社会的な意欲をあきらめて、倹しく暮らしながら心に住んでいる永遠の神を見つけられるように、毎日ヨガを練習すべきだということです。つまり、ヨガは仏教の中にある観念と似ている、いわゆる「苦行」の人生を求める修行だ。今のヨガの練習と言えば、たいていヨガポーズという生理的な訓練を指していて、精神的な修行の部分をとうに忘られてしまったんです。ヨガポーズをしながら、体や精神も良くなることは当然だとしても、健康がヨガの最初の目的ではなかった。

近代、ヨガはインドから欧米などの先進国に輸入されて、すぐに欧米で流行りました。今のアメリカで、ヨガは間違いなく一番人気があるエクササイズの一つです。今年の統計データによると、アメリカでヨガをする人は大体二千万ぐらいだそうです「1」。つまり、十人に一人のアメリカ人は「今ヨガをしている」とアンケートに答えました。それは、少し驚くべき事実ではないてしょうか?

ヨガの価値は誰も否定できないけれど、なぜこのヒマラヤ山脈のヨガ修行僧ぐらいしかあまり聞いたことがなかったような古い文化が、突然に世界的なファッションになったのでしょうか。答えは、西方の市場経済に影響されたからです。言い換えると、いわゆるヨガの復興とは、現代の欧米大陸にヨガが商品化させて、そして人々はヨガでお金を稼ぐことになったということです。つまり、商業化こそがはヨガがこの世界で流行っている主な原因です。

しかし、ある「ほんとうのヨギ「2」」という、伝統的なヨガの観念や形式を守ろうと思っているヨガの保守派は、「商業化のせいで、ヨガ元来の意味がなくなってしまた」という意見を表しました。ヨガの伝統的な考え方にはまず「意欲を持つな!」ということがありますが、今の現実では会社も先生もヨガで利益を得ています。それはヨガで人間の意欲を満足させるべきないということに相反するのではないでしょうか。

私はそのヨガの矛盾が興味深いと思います。この世界はいつも変わっているんです。ヨガもそのとおりに変わる必要があると思います。もし商業化はこの世界の未来を指向したら、ヨガが発展し続けるためにこの世界の主流に当てはめるべきか、主流に反対して自分の特別な道を見つけるべきか、どちらがヨガの正確な道路か、少し考えてみようとしています。

まず、現代の経済市場はいかにヨガを変えたかを話し合うべきです。

昔のヨガとはヒマラヤ山脈で住んでいるインド人のヨガ修行僧しか知らなかったということですが、今は商業化のおかげて世界中広まっているヨガが、国に限らず誰も知っていて、誰でも勉強できて、誰でもヨガらしいの生活をすることができます。また、新しいヨガ流派も作られてしまた。蒸し暑い部屋にヨガを練習しているビクラムと天井からのハンモックを使っている空中ヨガなど特別なニーズに応じているヨガも市場に出てきました。

昔のヨガはほとんど信仰以外の意味があるませんでしたが、今は違って、ヨガはさまざまな領域に当てはまります。例えば、現代のヨガは代替医療になっています。ヨガは背中の痛み、傷害後のリハビリ、不安などの小さい病気に対して、とても効果的だという事実が科学的に証明されています。それで、ヨガは妊娠中の女性や赤ちゃんにも積極的な影響を与える。ひどい病気中の年配もヨガで慰められて、生活の品質が改善できる。

昔のヨガは人々の経験しかなかったが、今のヨガは科学的に発展している。マンハッタン物理医学とリハビリセンターのフィッシュマン教授はヨガの中で、ヘッドスタンドというアーサナが回旋腱板症候群の症状を解消できるという論文を発表した。アメリカのいくつかの大学では、ヨガのマスタープログラムを提供していて、ヨガの先生に対しての要求も前より高まっていす。最近、優秀なヨガ先生になるためにヨガの歴史やアーサナは言うまでもなく、解剖学、心理学運動療法なども勉強せざるを得ない。

しかし、現代人はいつも多忙な生活をしていて、ストレスがたまっているので、時々個人的なスペースで何も考えていないでゆっくり時間を過ごしたいです。そして、健やかな体や素敵な体形を持つために、運動する必要もあります。ヨガは現代の人の意欲を満たすという理由から、広がってきました。そしてヨガの会社やヨガの名人がお金がたくさん稼げるようになりました。

ある人はヨガの本当の目的が分からなくて、ヨガが早く上手になって人の前でそのすばらしい技術が見せるために練習し過ぎます。しかし、無理をして、ヨガのせいでけがをする練習者やヨガ先生も多いです。

まだ、お金のために人々にヨガの奇跡を信じされた例もあります。ヨガを練習したら、癌さえ治すというようなヨガに対する勘違いも広まりました。

ヨガは慎重にすべきだと思います。ヨガの良いところや迷信的な部分をよく理解したほうがいいと思います。

Reference:
1:https://www.yogajournal.com/blog/new-study-finds-20-million-yogis-u-s
2:https://en.wikipedia.org/wiki/Yogi
3:http://ozreport.com/docs/Yoga_Based_Maneuver_Effectively_Treats_Rotator.10.pdf

Comments

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  2. こんにちは、TAの中西です。
    わたしもヨガを趣味でしていたことがあり、大変興味深く読ませていただきました。

    1. 全体的な感想
    昔インドで培われてきたヨガが、西欧文化(市場経済)と融合され現代社会に普及されることで、心身の鍛錬による精神統一、と言う元来の意味が薄れ、「ストレッチ」や「リラックス」といった、ヨガを行う目的が変化しているのが面白いですね。今多くの女性が、ヨガ=エクササイズ=痩せる と言う固定観念を持っているのも驚きですよね。

    人間の欲(欲望)を制するための修行としてはじまったヨガが、現代の人間が欲するもの(健康的な生活や体作り)を満たす道具として使われている。そしてヨガの商業化により人間に利益をもたらし、更に人間の欲を生み、悪用される、という矛盾が生まれている、という点が鋭い視点であると思いました。

    慎重にヨガをしていくべき、と言うご意見にも同感です。先に述べた矛盾点に対して、ヨガの先生として、貴方がヨガを現代人にどう伝えていきたいのか、ヨガの発展にどう貢献していきたいか、もっと詳しく聞きたいな、と思いました。

    2. 質問
    2段落目の「ヨガの主な観念は人間が生きている間、できるだけ社会的な意欲をあきらめて、倹しく暮らしながら心に住んでいる永遠の神を見つけられるように、毎日ヨガを練習すべきだということです。つまり、ヨガは仏教の中にある観念と似ている、いわゆる「苦行」の人生を求める修行だ。」の文章ですが、ここでの「険しく暮らす」や「苦行の人生」とは、例えばどのようなものでしょうか?
    ヨガも仏教も、肉体的精神的苦行を奨励しているのでしょうか?
    仏教の観念も含め、もう少し詳しく教えて頂けたら更に面白くなるかなと思いました。(ヨガは仏教より歴史は長いようなので、仏教に何らかの影響を与えていそうですね。)

    それでは引き続き頑張ってください!

    TA 中西

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    1. 中西さん、

      長いコメントを書いて下さってありがとうございました。いつも文章の意味を通じられないことを心配していますが、中西さんは私の文章がよく理解できるからよかった!

      実は、まだ考えを整理しているところです。そんなに珍しいトピックを書いた文章が少ないから、先輩の意見を参考できません。今の部分がただ私が察した社会の実態ですが、このヨガの矛盾をいかに解決したか、いろいろな意見があるのに、私は自分の立場をまだ決めっていません。でも、私はだいたい商業化がヨガに対して悪いわけではないと思います。ヨガは商業化の環境に発展し続けるはずだと思います。

      さらに、中西さんの質問について、確かにヨガと仏教の観念がよく似ているのに、やはり同じ宗教ではありません。ヨガは心にいる永遠の神をみつけるための修行です。ヨガの中で、神の存在は一番重要なことです。神をさがすように集中力が必要だから、肉体的な苦行ーヨガポース、そして精神的な苦行ー瞑想をして、肉体的な精神的な欲を捨てて、長い時間にわたって、ゆくゆく神の存在を感じられます。この苦行は、とても良い後世のためではないと思います。つまり、ヨガの苦行の目的は自分のことを報酬することがありません。

      中西さんからの仏教を含める意見がとても面白いと思います。私は仏教のことが勉強するつもりだから、いい考えが出られるはずだと思います。

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